死というもの

今朝、電車で隣に20代前半の若者(関西の人)が2人座っていた
一方の人の祖父が危篤というメールが入ったらしい

「じいちゃん危篤やって」
「え?ホンマ?どうすんの?」
少しの沈黙・・・
「信じられへん、考えられんわ、泣きそうや・・・」

数分後
「えっ!!!」
「何?」
「死んでしもうたわ」
「は?悲惨やなぁ・・・」
「どんくらいかかるんかなぁ」
「何が?」
「金とか時間とか色々と」
「俺もわからへん」
「とりあえず家に帰ったら荷物まとめて帰らな」

親はいないそうだが・・・?きっとその時は祖父が喪主を勤めたのだろうか?

考えてみると自分は多くの死を見てきたんだな
母方の祖母は母が幼い頃に他界

母方の祖父
父方の祖母
親父
父方の祖父
母親
嫁さんの義母
ノブナガ

20歳の時点で両親、祖父母はみんな他界
母の時に喪主、遺産相続の事務等色々経験させてもらった

この隣の青年、きっともがき苦しむだろうけど、祖父の死はきっと青年を大きく成長させてくれるだろうと信じている。人の死ってただ単に「いなくなる」だけのものじゃない。もっともっと大きな何かを与えてくれるはず。
だって、自分が経験して色々といい勉強になったし、親の死によって少しは成長したと思えるからだ。
逆に、親がいないことで止まってしまった部分もあると思う。
まだまだ30前の青二才。仕事以外にもこれからたくさんのことを経験していかねばならない。

雨が降る月曜日の朝、ちょっとシンミリ気分での出勤でした

くっ・・・自分のことを「20代そこそこ」でなく「30前」と表現しているのが悲しい・・・
幼い頃に描いていた「大人」って30歳じゃまだ無理だね・・・。
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by tama5136 | 2004-09-27 11:03 | 日記